【 筆者のコラム(Column)2024.04.10. 】
幅下学区での区政 新委員長としての第一歩が始まりました。
今朝は,朝8時からの 名古屋市 交通大監視の日 です。
昨年までは45分間の立ち番時間でしたが,年配の方から辛いので時間短縮の要望が有りました。西警察署交通課に お訪ねすると,学区の実情に依り短縮してくださいとの回答を頂き,今年度から 8時から 8時30分の 30分間に短縮致しました。明道町交差点&浅間町交差点を巡回しながら御伝えすると 短縮には皆さん お喜びされました。
今年度の学区での課題は,前年度の行事費( 盆おどり,敬老会,成人式 ),共同募金費への出費を如何にして抑制して行くかにある。
所謂,無駄を省いて 心しての 緊縮財政で 臨む 一年に成ります。
さて 今月は手塚治虫氏のライフワーク Phoenix 火の鳥 について述べます。まずは,代表的な映画である 鳳凰編 を御覧くださいませ:
【 アニメ映画 】 火の鳥 ・ 鳳凰編 1987 High-FPS HD 色修復
遥かなる時を超え 永遠の命を燃やし続ける 不思議な鳥がいるという それは楽園の中で光輝き 地獄の中で燃え上がり その美しきさま 炎の如し 怪しきさま 幻の如し
宇宙 創成期より 生きとし生ける全てのものを見守り続けて来た この伝説の鳥 人は 火の鳥 と呼ぶ
火の鳥 【 鳳凰編の主題歌 】 渡辺典子
生きて 死んで よみがえる 仮の姿は たとえ ほろんでも ♪ ♬ ♫
ずっと 過去に 愛された ♪ ♬ ♫
そして はるか 未来でも そんな 二人と 信じ 会えたなら ♪ ♬ ♫
愛したら 火の鳥 時を越えて めぐり逢う ♪ ♬ ♫
You Carry Us On Your Silver Wings
To The Far Reaches Of The Universe
( 日本語訳 )
あなたは 銀の翼で 私たちを 運んでくれます
宇宙 の 彼方へ
非常に長い全編に渡る物語です。手塚治虫の考えが,火の鳥 を通して語り継がれて行きます。例えば,鳳凰編では永遠の生命を請う仏師の茜丸に対して,火の鳥は 次の様に諭します『 あなたの運命は生まれた時から決まっています。魚(さかな)に戻るのです 』と。
輪廻転生(りんねてんしょう),人は何度も生死を繰り返して新しい生命に生まれ変わることを意味します。そして,全編に貫かれた不死鳥である 火の鳥の思想 は 次の2点に集約されるでしょう:
(1) 正しい事( ただしいこと )を 行いなさい。
(2) 争い事( あらそいごと )は しては成りません。
そして,罪あるものは 必ずや 報いを受けるのです。
時間のある時にでも,次の5編 アニメ映画 も御覧くださいませ:
(1) 火の鳥 黎明編 その一 , その二 , その三 , 最終回
(2) 火の鳥 ヤマト編 oav 1987
vostf
(3) 火の鳥 宇宙編 oav 1987 vostf
未来編に於いて 最後に述べてあります言葉です:
始まりが 無いものには 終わりが 無い
命は 終わらないもの だから命は 永遠である
未来編の動画配信が有りませんので,連続ラジオ小説「火の鳥 未来編」( NHKラジオ第1放送 1977年3月29日~4月2日 )で 拝聴を:
未来編 は,第一巻のように読むことも出来て,最終巻のように読むことも出来ます。全巻を読まれた方,もう一度 本作を最後に読んで下さい。
【 筆者のコラム(Column)2024.03.05. 】
今月は,謎である 筆者の紹介をさせて頂きたいと思います。
筆者のデビュー作 第11回 夏祭り ふれあい盆踊り 2018 です:
川本哲也校長先生 と 中條真由美教頭先生(現在 大野木小学校校長)の,なごや小学校での 御努力を とっても懐かしく思い出します。
ここでホームページに掲載致しました 筆者の写真を御覧ください:
これは,コロナ禍 直前の 国府宮はだか祭り時の写真 です :
お気に入りの写真,マイナンバー・カードでの写真として提出致しましたが,胸元に文字が入るので 戻って来ちゃいました( 笑 )
一昨年の, 名古屋城 宵祭り の時の 記念写真です。
昨年8月6日の名古屋城宵祭り の時の 古希記念撮影 です。
12月7日には,安心・安全まちづくり大会で議長賞受賞の記念:
筆者は,昨年の4月から8月の5ヶ月間,ちっちゃいものクラブ を写真撮影をしながら,幅下コミュニティーセンターで取材をして参りました。
私は,大学で数学を教えて居ります。京都大学の学生の頃からの家庭教師&受験生を教える学習塾から数えると52年近く教育に携わっています。
( 今月末で,大学での仕事は引退を致します。)
ちっちゃいものクラブを見ていて気が付くのは,赤ちゃんの間では,おしゃべりが全く無いことです。本当に,不思議で静かな世界なのです。
大学での講義ならば『 おしゃべりは,慎みなさい 』と注意をする事が常ですからね。本当に,静かで不思議な赤ちゃんの世界なのです。生まれて初めて体験することが出来た私に取って まるで夢のような世界でした:
Goodbye Little Babies.
Thank you little babies for the 5 months of my memories !
次の動画は,筆者の思い出に残ります夢のような5ヶ月間の記録です:
写真動画(4分35秒) BGM は When I Dream(1992) Carol Kidd
ウェブブラウザは Microsoft Edge , Firefox を御利用ください。
【 筆者のコラム(Column)2024.02.10. 】
今回は 子どもの頃の遊びについて思いつくままに記して行きます。
2月7日には,市民会館(ビレッジホール)に出掛けました:
大会の後に 会場の外に出て,昭和43年(1968)に解体された 金山体育館 の跡地に できた名古屋市民会館を しみじみと眺めました:
名古屋専売局は太平洋戦争の戦火で全焼して,戦災復興計画で金山は盛り場にすることになり,大曽根( 現在のナゴヤドーム西のイオンモールなどのある土地 )で再興されました。
そして,金山の跡地には,昭和25年(1950)の名古屋国体に向けて体育館が建設されました。 それが,金山体育館 なのです:
金山体育館 では小学生の頃,両親と姉で一緒に大相撲 名古屋場所を観戦致しました。帰りには 父が御土産にと,相撲の行司の木製軍配を買って貰いました。 その軍配で,自宅の前の道での 御相撲ごっこ遊びを 子供仲間でしていたことが 走馬灯のごとく蘇って参ります。
時間の流れは早いものですね。 もう60年も前に成りますから。
軍配団扇は古くから悪鬼を払い,霊威を呼び寄せるという意味合いで神事などにも用いられてきたものです。古くは戦国時代には軍配を操り,出陣の日取りや方角で吉凶を占って,天文を観察して未来を示唆することは一族の盛衰にもかかわる重大事でもありました。
相撲の行司が,力士の立合いや勝負の判定を指示するのに用いる道具の軍配(ぐんばい)には,願いの意味を込めて 天下泰平 と書かれています。
当時の子供の遊びと謂えば,鉄製のコマ回し&ビー玉遊び などでした。現在の様な,テレビゲームとかパソコンゲームなどは無く,室外で子供達で遊んだものです。白黒テレビは高級品であり 各家庭には無く,パソコンなどは まだこの世には存在して無いものでした。
羽子板(はごいた)を御存じでしょうか?
私の母(享年87歳)が晩年に話していたことを思い出します:
夢で,御友達と御庭で,羽子板あそびをしているのを見たよ。
とっても 楽しかった と。
本当に 嬉しそうな 笑顔で 私に 話してくれたものです。
( 母は,海部郡の 御庭がある家庭で すこやかに育ちました。)
母は 天国で 御友達と 羽子板あそび をしているのであろうか?
春 節(2月10日)に 中華料理店(中国人経営)で 食事をしました。 その時,壁にある飾り物に気が付きました:
御主人に 福 には,如何なる意味が込められているのか? と尋ねてみると,幸せ(しあわせ)を意味する と。 なるほど ガッテン 幸 福
2月15日には,大谷グローブ の取材に なごや小学校 に行きました:
昨年暮れに,米国から一時帰国された方からの,ちょっと いい話:
(その1) 大谷選手の身長は 193cm,試合でベンチ入りした時に,米国の仲間から『 お前,大きいな~あ 』と言われたそうです。
(その2) 岩手県奥州市に健在の両親に 国際電話をした時の話:
『 とうちゃん,かあちゃん,お金を送ろうか?』と聞いたら『 お前が稼いだのだから,大切に使えばええ 』 だから, 大谷グローブ
【 筆者のコラム(Column)2024.01.12. 】 このたびの令和6年 能登半島地震で被災された皆様に心より お見舞い申し上げます。
能登半島地震が起きた直後,石川県加賀市片野町のラムサール条約登録湿地「 片野鴨池(かたのかもいけ)」では越冬中のヒシクイやトモエガモなどの野鳥約 1万1000羽が 一斉に飛び立つ様子が撮影されていました。
このような 約4m もの隆起は 数千年に1回の現象 だそうです。
専門家による「 令和6年能登半島地震 変動地形調査グループ 」の調査では東西およそ 90キロの範囲で,陸域がおよそ 4.4平方キロメートル海側に拡大したことが分かっています。また,漁港の北側の岩礁もおよそ 3.6メートル隆起して「 海成段丘 」と呼ばれる階段状の地形ができました。そして,この隆起は地震動で地殻変動の起きている僅か(わずか)1分間に形成されたものだと考えられます。
輪島市や珠洲市の北側の海岸線沿いには,およそ 6000年前から現在までに大規模な地震によってできたとみられる「 海成段丘 」が3段確認されています。
能登半島自体が隆起を繰り返すことでできた半島 で,段丘が3段あるということは,過去にも大規模な地震が起きたことを示します。
今回は,その数千年に1回程度の現象に 遭遇してしまったものだと受け止められています。
この大規模火災で延焼を免れた日本家屋は,自宅前の道幅が広かったからだと指摘されています。 地元の 名古屋市 西区の円頓寺(えんとんじ)の 四間道(しけみち) は,元禄13年(1700年)の大火事の後に,防火の目的と旧大船町商人の商業活動の為に 道路幅を 四間(約 7メートル) に広げたので,その名前が付いたと謂われていることを思い出します。
若い頃の夏休みには,輪島の民宿に泊まり 夕方には 御陣乗太鼓の演奏を鑑賞して,朝市巡りをした自然豊かな街並みが懐かしいです。
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