コラム10月号

【 筆者のコラム(Column)2024.10.02. 】

幅下の名前の由来 の取材の為に,名古屋城を訪れました。

ついでにと,71歳の誕生日の記念撮影を年甲斐もなく致しました:

第三幼稚園の頃から,大好きな 清正石(きよまさいし) です。

威風堂々 とした感じが何とも言えず,子供の頃から好きでした。

今年も 元気で 会えたね!


昼食は,城内にある きしめん亭で一服しましょう:

きしめん定食で 缶ビールは 自分への バースデー・プレゼントです:


一見するとお城かと見間違えるような名古屋キャッスル・ホテル:

11月に完成予定であり,セントレアからの直通バスも運行予定:


委員長 堀田の挨拶動画の一部(2分46秒): 【 幅下の名前の由来 】への詳細は,これから敬老会の原稿からの文字お越しを致します。

以下は,幅下学区の敬老会での実際の乱筆なる私の原稿です:

幅下学区敬老会  令和9年14日  堀田の御祝い 原稿

( 壇上の 日の丸に 礼をする )

幅下学区の 区政委員長の 堀田耕作で御座います。

本日は,幅下学区敬老会に御出席を頂きまして,誠にありがとう御座います。

本年度は,昭和24年生まれの方々が,初めての御出席と成ります。そこで,昭和24年に何があったのかを調べてみました。

昭和24年11月3日には,湯川秀樹先生が【 中間子理論 】でノーベル物理学賞を受賞された日であります。敗戦後の昭和の時代に,明るい希望の光を与えるような受賞でありました。

私が,京都大学を進学先に選んだのも,大学の校風と共に,湯川先生のことがあったからだと思います。

大学の北部キャンパスにあります京都大学基礎物理学研究所,ここは湯川先生の記念館でもあり,玄関先には湯川先生の胸像がありました:

お隣には,日本で唯一の数学の研究所である京都大学数理解析研究所があり,私は6年間の大学院生活を過ごしました:

毎朝,自転車で北白川の下宿を出て,湯川先生の胸像に挨拶をして隣の研究所に登校して居りました頃が,懐かしく思い出されます。

閑 話 休 題

本日は,幅下学区の敬老会ですので,この機会に 幅下の地名の由来について述べてみたいと存じます。

多くの方は,幅下って昔からある有名な地名だろって言われますが詳しくは御存じ無いのだろうと思われます。

さて,歴史は 1610年の清須越えの名古屋遷都にまで遡ります。

堀川に掛ります東円頓寺の東にあります五條橋は有名ですが,当時は堀川には2つの橋しか有りませんでした。もう一つは,御分りでしょうか?

正解は,朝日橋(あさひはし)であり,昭和60年3月に国道22号に出来ました 巾下橋 の北側に位置して,堀川では最古の橋になります。

清須は,湿地である平地でしたので,名古屋城の天守閣は,なごや台地の上にて築城されて居ります。

この天守閣は2年余りの 1612年に完成しますが,その間に開拓したお城の南西部には,既に武士そして町民が住み始めていました。この辺りの地名をどうするのか? 城内では,話題に成りました。

 

当時は,天守閣の辺りを 幅上(はばかみ) と呼んでいたので,下の方に開拓した土地だから 幅下(はばした) と呼ぼうと成ったのだそうであります。

つまり 幅下(はばした) は一朝一夜で出来た地名では無いのです。

その証左としての, 幅下学問所址 および 幅下門蹟址 について解説を致したいと考えています:

名古屋城の築城時の設計事務所の跡地に出来たのが,幅下学問所 です。巾下橋の南西,現在の鷹匠町にあります木全・中日新聞店の横には,次の様な名古屋市教育委員会の碑が立っています。東西25m,南北40m で敷地面積 1,000 平方メートルの立派な学問所:

堀川の最古の橋である 朝日橋 は,かっては 城西地区&幅下地区の名古屋城に勤める武士の皆さま方が毎日 渡れる唯一の橋でした。

橋を渡り,左方向に曲がります:

左右に見えます石垣が,昔の幅下門の跡であります。 幅下門蹟址:

この門蹟址は,知る人ぞ知る の秘密の門蹟と謂われて居ります。

かって昔には,幅下門蹟址には,現在の正門にありますような立派な門が あったものと考えられて居ります:

このように,由緒ある 幅下 地区でお住みの皆さま方,どうぞ 健康に気を付けられまして,この 幅下 で 一歩一歩と長寿の道を 歩まれますことを夢に見まして,本日の 御祝いの言葉とさせて頂きます。

誠に,おめでとう御座いました。

( 壇上の 日の丸に 礼をする )


付 記 】 同僚からは,堀田さんは歴史に詳しいと褒められる事があります。取り敢えず,改まって 勉強した様な記憶はありません。

ここで,敬老会での挨拶を文字お越しで記述しました【 幅下の地名の由来 】にしても,歴史について詳しかった名古屋市役所本庁舎に勤めていた父から 口伝 で,子供の頃から聴いていたことを,纏めただけです。ここに於いて 口伝 の大切さを 改めて 切実に感じます。

口 伝 (くでん)】とは口で伝え,教えを授けることであり,情報伝達方法の一つであります。