名古屋城夏まつり 2023

いつものように,あさひはし(朝日橋) を渡って名古屋城に向かいます。築城の当時には外敵からの守りを固める為に,堀川には あさひはし と 五條橋(ごじょうはし)の2つの橋のみの存在でした。

ですから,名古屋城に勤める城西地区,そして幅下地区の武士の皆さま方は,この あさひはし を渡るのが唯一の方法でした。

筆者は子供の頃から,この古びた橋を渡るのが好きでした。 父と一緒に堀川端を歩きながら,名古屋城に遊びに行ったものです。 途中には巾下学問所址(現在の幅下橋の西南)があり,当時は巾下学問所の大きな絵の看板が掲げて在りました。ここでは,武士の子弟が学習したそうです。名古屋市役所本庁舎に勤務していた父からは,お前も一生懸命に勉強しんとあかんな~あと謂われたものです。

閑話休題,兎も角(ともかく)由緒のある あさひはし なのですね:

この あさひはし を渡り左側に進むと有名な 幅下門の跡 です。現在は,石垣しか残っていませんが,当時が偲ばれる大きな門跡です。

この機会に,幅下の地名の由来について 述べて於きましょう:

町が平地で水害が多かった清須からの,通称・清須越(きよすごし:慶長15年(1610))が行われ,清須よりの町ぐるみの引越しである名古屋への遷都の際に併せて,同年から始まった名古屋城の築城では慶長17年(1612)までに大天守が完成致しました。その当時,高台の大天守のある場所の地名を 幅上(はばかみ)と呼んでいたので,その下に拓けた地を 幅下(はばした)と呼んだと謂う説が,もっとも有力な由来説ではと筆者は考えて居ります。

ここを,真っ直ぐに進むと 名古屋城の正門 に着きます:

正門を潜り抜けて,真っ直ぐに進めば 名古屋城の本丸 に辿り着きます:

さて,これから名古屋城 夏祭り 2023 の様子の報告を致します:

推定 10トンの清正石,小学生の頃には大きな石に感じられたものです。

名古屋城に遊びに来ると,清正石を見ては 安堵感を得ていたものです。( 物心ついた頃から,清正くん まだ 居たのかってな感じなのです。)

本丸の中を歩いてみると,小学生の頃にお絵描き大会でクレヨンで絵を描いた場所とか,中学生の時には水彩画を描いた場所とか,友達の顔と共に走馬灯のように浮かんで参ります。 名古屋城には良く遊びに来ましたが,当時は入場が無料だったと記憶して居ります。

この 10月には,古希を迎えますが,あと何回 訪れることが出来るだろうかと思って,今年も記念撮影を致しました。

本丸を出て左手側の,きしめん亭 で腹ごしらえを致しました:

きしめん(750円)は,名古屋特有の濃い目の だし汁で上手い!

西区役所からも,髙岡区長さまを初め応援に来てくださりました:

櫓の上では,名古屋市女性会 伊藤和子会長からの御挨拶です:

この写真を,ちょっと拡大して見てみましょう。

幅下学区の山田会長,枇杷島学区の工藤会長,山田学区の肥名子会長:

髙岡 西区長と山田会長との,笑顔のツーショットですね:

これからは,幅下学区女性会の皆さま方が出場されますね!

幅下学区・前区政委員長の河村幸守氏が野菜ジュースの差し入れ:

お得意の,炭坑節の踊りに参加されます 河村委員長です:

幅下女性会の皆さま&山田学区の肥名子会長との談笑ですね:

嬉しい 御家族の名古屋城夏祭りへの訪問がありましたね!

高木さん,皆さんの荷物の見守りを有り難う御座いました!

猛暑の中で開催の名古屋城夏祭り,素晴らしい踊りをありがとう!